找回密碼
 註冊成為菜籽
搜索
查看: 1241|回復: 0

「嘘から生まれた関係は真実になり得るか」『明日、ママがいない』

[複製鏈接]
發表於 2014.3.11 12:52:00 來自手機 | 顯示全部樓層 |閱讀模式
 「嘘から生まれた関係は真実になり得るか」『明日、ママがいない』に流れる野島伸司の命題
  お化け屋敷のようなおどろおどろしい雰囲気で描かれる児童養護施設が、誤解と偏見を与えると全国児童養護施設協議会から抗議を受け、また、芦田愛菜が演じるポストという名前が赤ちゃんポストに由来することから、熊本県・慈恵病院に放送中止を求められた『明日、ママがいない』(日本テレビ系)。番組スポンサーのCM自粛といった騒動が起きたことでも世間の注目を浴びた本作が、次回で最終回を迎える。

 本作は「コガモの家」と呼ばれる児童養護施設で暮らす子どもたちの物語だ。さまざまな事情から親と離れて暮らしている施設の子どもたちは、お互いを「ポスト」(芦田愛菜)、「ピア美」(桜田ひより)、「ドンキ」(鈴木梨央)、「ボンビ」(渡邉このみ)と、あだ名で呼び合っている。そんな子どもたちが、里親候補の家族の元を訪問することで起こるエピソードから、ひたむきに生きる子どもたちの姿を描き出している。

 脚本は松田沙也、脚本監修は野島伸司。野島の代表作である、小学生の少女に次々と降りかかる困難を描いた『家なき子』(日本テレビ系)と、障害者施設で行われている虐待を描いた『聖者の行進』(TBS系)を組み合わせたような世界観や、「魔王」と呼ばれる施設長(三上博史)が「お前たちはペットショップの犬と同じだ」と言って無理やり「泣け」と強要したり、出てくる大人が全員クズという暗鬱な展開は、野島伸司らしいケレン味に満ちており、少し懐かしいとすら感じた。

 しかし、スポンサーの自粛が決まったあたりから、当初あった暴力的なトーンは後退していく。第5話に入る頃には、里親や大人を悪役として描く描写はほとんど消滅し、テレビドラマとしては無残なものに成り果てたといえる。しかし、抗議によって作品が変質していく過程を追いかけたドキュメントとしては、毎週スリリングで興味深いものだった。

 第6話。保身のために暴力事件を起こしたと疑われているロッカー(三浦翔平)を、施設から追放しようとする子どもたちに対して、魔王は「つまらん大人になるな」と、延々と語りかける。魔王が語る7分弱の長台詞は、抗議してきた団体や視聴者に対する作り手サイドのリアルタイムでの反論としては面白かったが、物語としてはいびつ極まりなく、追い込まれた作り手の断末魔の悲鳴のようだった。それにしても、何故、野島伸司のドラマは激しい反発を招くのだろうか。

 批判のほとんどは、施設の描写が現実とかけ離れているという取材の甘さや、不快な要素を次から次に突きつけてくる作品の粗雑さに対するものだ。しかし、そのような現実を無視した描写は、野島伸司の作品歴を考えると、作劇上のミスというよりは、確信犯的なものにみえる。

 連ドラデビュー作の『君が嘘をついた』(フジテレビ系)というタイトルが象徴的だが、野島伸司は「嘘から生まれた関係は真実となり得るのか」と、「無垢でか弱いものこそが、もっとも強いのではないか」という2つのテーマを追求してきた。そんな、野島伸司が、こだわっているのが子役という存在だ。

 現在、野島は子役を目指すことで貧困から脱出しようとする少年を主人公にした『NOBELU‐演‐』(原作:野島伸司、作画:吉田譲)という漫画を「少年サンデー」(小学館)で連載しているが、『明日、ママがいない』もまた、子役を巡るドラマだと言える。犬や猫のように消費され、大人になれば飽きられて捨てられてしまうため、なんとか過剰適応しようとするあまりに年齢と内面にズレが生じて大人になることができない悲哀は、子役たちに得体のしれない怪物性を与える。かつて、『家なき子』に出演した安達祐実は、そんな子役たちの先達だ。

 あまりに達者な演技をするために、『家なき子』放送当時、12歳の安達祐実は、本当は25歳なのではないかという都市伝説が広まったことがあったが、本作における芦田愛菜は25歳どころか何百年も生きているかのような貫禄がある。ポストの幼い外見とは裏腹に、ハードボイルドなタフさと同時に母性をまとった存在感は、外見が子どもであるが故に、より一層、不気味な怪物性を漂わせている。

 そんな芦田が、大人になった安達と共演する7話以降の展開は、新旧子役スターの邂逅という意味において神話的な迫力を感じる。安達が演じる朝倉瞳は子どもの死という現実を受け入れることができず、妄想の世界に閉じこもり、ポストを自分の娘と思い込んでしまう。そんな瞳のためにポストは彼女の娘・愛として、朝倉家に通うようになる。

 第8話。子どもたちの元に本当の親が現れ、ドンキたちは親元に戻るかどうかの選択を迫られる。親たちは子どもたちに対し、本当の名前(例えば、ドンキならば真希)を呼びかけるのだが、それは子どもたちが現実へと帰還するための儀式のようだ。しかし、ポストにだけは帰るべき本当の親は存在しない。

 最終話で、ポストは瞳の娘・愛として生きていくのか。それとも、ポストという自分で選び取った名前で今後も生きていくのか。どちらを選んでも「嘘」だというのが、野島伸司らしいと思う。
(成馬零一)

※画像は『明日、ママがいない』(日本テレビ系)公式サイトより

著作権は株式会社サイゾーに属します。
© 2014 CYZO Inc. All rights reserved.





http://topics.jp.msn.com/entertainment/cyzo/column.aspx?articleid=3618556來自: Android客戶端
回復

使用道具 舉報

您需要登錄後才可以回帖 登錄 | 註冊成為菜籽

本版積分規則

排行榜|小黑屋|手機版|芦田愛菜展覽館

GMT+8, 2025.7.4 18:11 , Processed in 0.022486 second(s), 15 queries .

Powered by Discuz! X3.5

© 2001-2024 Discuz! Team.

快速回復 返回頂部 返回列表